天安山 真福寺

境内散策

STROLLING THE TEMPLE GROUNDS

山門をくぐると、江戸期の石仏から明治・大正の建物、平成の手水屋まで、時代を重ねた境内が静かに広がります。順にめぐりながら、ひとつひとつに込められた人々の祈りをご紹介します。

境内マップ

真福寺 境内マップ。山門・鐘楼・薬師堂・手水屋・本堂・庫裏の位置を示した俯瞰図
真福寺の境内(山門・鐘楼・薬師堂・手水屋・本堂・庫裏)

諸堂をめぐるHALLS & STRUCTURES

本堂

ほんどう

  • 小牧十観音 第三番札所
  • 御本尊 如意輪観音菩薩
  • 昭和57年(1982)改築
真福寺の本堂 外観
本堂を別の角度から望む

小牧十観音 第三番札所である如意輪観音菩薩が御本尊としてお祀りされております。旧本堂は寄棟造りでしたが、白蟻被害が酷いことから昭和57年(1982年)に改築されました。

本堂西側には伊吹山を望む田園風景が広がり、夏でも伊吹山から来る西風が心地よく、本堂の風鐸(大型の風鈴)を鳴らしています。毎週日曜日には、鳥のさえずりが心地よく響くこちらで坐禅会を行っております。

薬師堂

やくしどう

  • さら灸ご祈祷
  • 文化8年(1811)創建
  • 昭和59年(1984)改築
真福寺の薬師堂
薬師堂を別の角度から望む

文化8年(1811年)、真福寺第八世住職 霊允禅師は楠木正成公の末裔であるとの寺伝があり、正成公の念持仏 薬師如来像を境内に安置するのがこの薬師堂です。以来、諸病退散・学業成就の霊験があるとされ、さら灸ご祈祷が現在まで続けられております。

現在の薬師堂は昭和59年(1984年)の改築の際に二代目薬師如来像をお祀りし、念持仏とされる尊像は十一月のさら灸ご祈祷時のみお祀りし、公開しています。

庫裏

くり

  • 境内最古の建物
  • 大正13年(1924)移築
  • 築120年以上
真福寺の庫裏 外観
庫裏の室内 養蚕建築の名残を伝える広間

庫裏とは本来、住職や寺族が生活する場所のことをいいますが、現在は行事の際の客間や催しのブースとして活用しています。

明治24年(1891年)に発生した濃尾大震災の際、本堂をはじめ旧庫裏も倒壊したと過去帳に記録が残っています。その33年後の大正13年、扶桑町より養蚕農家の屋敷を庫裏として移築したと記録があり、二階は天井が低く、養蚕建築としての特徴が表れています。移築前の築年数も加味すると120年以上の建物と推察され、真福寺において一番古い建物です。

鐘楼

しょうろう

  • 明治後期 再建
  • 平成7年 瓦葺き替え
真福寺の鐘楼 全景
鐘楼の柱脚に刻まれた当時の寄付者の名前
柱脚に刻まれた寄付者の名前

庫裏同様、濃尾大震災で被災し、いち早く本堂とともに再建された明治後期の建物です。屋根と梵鐘を支える柱脚には当時の寄付者の名前が彫られており、再建にかけた人々の想いがうかがい知れます。

平成7年に瓦の葺き替えを行い、当時棟に上がっていた二種類の鬼瓦は、境内の枯山水を見守るように鐘楼の北側に配置しています。

山門

さんもん

  • 山号「天安山」
  • 昭和50年(1975)改築
真福寺の山門 外観
山門に掲げられた山号「天安山」の扁額
山号「天安山」の扁額
歴代住職が自ら建てたと伝わる旧山門の古写真
歴代住職が自ら建てた旧山門(左手前)

もともと中国の禅宗寺院は奥深い山の中に建立され、その山に入るための門を「山門」と呼んだことが名の由来です。やがて寺院が建つ山の名から山号を冠するようになり、真福寺は「天安山」という山号を冠しております。

現在の山門は昭和50年(1975年)の改築。旧山門は、大工仕事に長けた歴代住職(代不明)が境内の樹木を切り出し、自らの手で建築したと伝えられています(白黒写真の門)。現在の水子地蔵の付近にありました。

手水屋

ちょうずや

  • 平成13年(2001)建立
  • 新田区 故 今枝絹子氏 寄進
真福寺の手水屋 東屋のような佇まい

平成13年(2001年)建立。新田区の故 今枝絹子氏の寄進により、旦那様をお弔いのため建てられました。以前は手水鉢と、その横に井戸があるのみでした。

現在では水汲みはもちろんのこと、東屋のように使っていただいており、雨をしのぎ、夏の暑さをやわらげる、境内のなかでも居心地のよい場所となっています。

石仏をめぐるSTONE BUDDHAS

水子地蔵

みずこじぞう

  • 昭和61年(1986)建立
桜越しに見る水子地蔵 赤い前掛けをまとう石仏

昭和61年(1986年)建立。生まれる前に亡くなった子供たちを供養する地蔵菩薩です。施主 丹羽家より、岡崎の良質な御影石を使い建立されました。

檀信徒・参拝者に愛され、複数の檀信徒の方がお庭で育てられた季節の花をお供えくださり、生花が途切れることがありません。

弘法大師像

こうぼうだいしぞう / 西国十七番 井戸寺 写し

  • 大正3年(1914)正月 建立
夕景の弘法大師像 桜を背に佇む

大正3年(1914年)正月建立。本田区の今枝ぎん氏が本四国お遍路をされた際、記念に建立した弘法大師像です。

「十七番がお気に入りだったのでしょうかね」と、現在の今枝家ご当主とお話ししていて気になり調べてみたところ、十七番寺院の正式名称が「瑠璃山 真福院 井戸寺」であることがわかりました。「真福院」に縁を感じて選ばれたのではないか——と、ひとつの見立てとして思っております。

地蔵菩薩像

じぞうぼさつぞう

  • 昭和5年(1930)建立
子安地蔵尊 子を抱く地蔵菩薩像

昭和5年(1930年)建立。お釈迦様が入滅(亡くなること)されてから弥勒菩薩が現れるまでの「無仏の時代」に、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を巡り、すべての衆生を救済すると誓われた菩薩です。

中北区の小林家が、金婚記念に建立されました。

西国三十三所観音像

さいごくさんじゅうさんしょかんのんぞう

  • 小牧三十三所観音霊場
  • 宝暦年間(1751〜1763)建立
赤い前掛けをまとった西国三十三所観音の石仏群

宝暦年間(1751〜1763年)建立。小牧三十三所観音信仰の霊場のひとつです。当時、西国三十三所観音巡礼は多くの庶民の願いでしたが、西国へ向かうのは容易ではありませんでした。

巡礼が叶わなくとも、なんとか同じ済度(救済)を受けたい——その人々の願いから、西国三十三観音の石像を建立し、帰依の心(優れた教えを信じ拠り所とすること)を石仏に求めました。各石仏には、当時の戒名や年号、村の名前が刻まれています。

境内をめぐって

江戸の石仏から明治・大正の建物まで、真福寺の境内には長い歳月とともに重ねられた祈りが息づいています。鳥のさえずりと風鐸の音に包まれながら、どうぞごゆっくりお過ごしください。毎週日曜の坐禅会も、お気軽にご参加いただけます。